経済人のコラム 時局寸評
我が国の未来と武士道精神
新大関出島関誕生の際、久しぶりに武士(もののふ)と言う言葉を聞いて、懐かしさを感じた。
ちょうどその頃、キリスト者の飯島正久氏訳・解説の、新渡戸稲造著「武士道」を読む機会を与えられた。
世紀末の変革の時代に直面している今日であるが、
この本は、著者が「宗教なしでどうやって道徳教育を授けるのか」との外国人の問いに端を発して、日清、日露戦争の狭間にあたる、当時においても変革の時代であった19 世紀末の1899 年(明治32 年)、米国で刊行されたものであり、欧米におけるキリスト教に対して、「日本人の魂、倫理道徳体系は、武士道の大和心にあり」と喝破し、時のセオドア・ルーズベルト大統領が深く感銘したエピソードもあり、十数カ国語に翻訳され、広く日本と世界の架け橋になったものである。
同著は、武士道の起源と源流、特性、民衆への感化、感化の持続性と永続性について述べ、自然との一体化を図る仏教、愛国心と忠誠心を培った神道、倫理涵養の儒教を武士道の淵源とし、その特性として正直(義・義務)、決断力、正義遂行の為の勇気、仁愛、謙虚さと他者への思い遣りを表した礼、誠実、廉恥心に養成された名誉心、忠義・忠実の観念等を挙げている。そして武士教育の第一に品性人格の確立を掲げ、武士道の鼎の足である知恵、慈愛、勇気の実践の為に剛毅不屈の精神の鍛練と共に礼節を実践すべく自己抑制に努め、一種のストイシズムの気風が生まれたと断じている。
同著では、著者の古今東西にわたる該博な知識を駆使して、彼我の比較文化論を展開しているが、武士道の個々の特質は、我が国固有のものではなく、キリスト教国においても実践されているものである。しかしながら「花は桜木、人は武士」とまで言われ、民衆の尊敬を集めた知性と道徳は、時代の変化と共に風化し、今や見る影もない。
我が国は戦後、民主主義の導入と共に、共同体としての家族・地域社会が喪失し、利己主義の浸透等によって、名誉心をはじめとする大切なものを失った感がある。しかし「花は桜木」とする、我が国の国柄、感受性、民族精神は、「文化の伏流水」として息づいていることは間違いない。
我が国に活力をもたらすものは「精神」であり、著者が述べる、仁愛、謙虚、思い遣り、知恵、勇気といった、倫理道徳原理としての武士道精神は、未来への霊的遺産・資産として、涵養していくべき、大切な「心」ではなかろうかと思う次第である。