経済人のコラム 時局寸評
日本の真の復活を目指して
新日本の経済も最悪期は脱しつつあるように窺える。
一昨年の春から始まった経済調整は、昭和の末期から平成にかけてのバブル景気の後始末、と言われている。そういうことであれば、企業の財テク失敗の膿がこの3月期で大方出尽くし、また、それを受けた金融機関の不良債権については、公的資金の注入により解消の道筋が付けられたことから、日本経済の復活は時間の問題とも言える。
しかし残念ながら、それは余りにも楽観的過ぎる見方だと思う。
バブル発生の底流にあった日本の指導者層の歴史観の欠如、民間経済人の官依存体質、地方自治体の中央政府依存体質や、バブル処理の問題先送りに組した官僚、経営者の無責任体質が改まらなければ、日本の真の復活は期待し難い。
こうした体質を改善するためにはどこから手を付けていけばよいのか、これを思うと暫し茫然自失となる。が、投げ出すにはまだ早い。
まず一番重要なことは、一人一人がもっともっと自分の頭で考える習慣を付けることだ。しかし、これは個々人の能力の問題もあり限界があろう。
次は、矜持と謙虚、威厳と羞恥という心の有り様について、一人一人がもっともっと意識することだ。しかし、これは倫理の問題であり、所詮弱き存在である人間に多くは期待できないだろう。
人の問題は取りあえず置いて、社会の制度の問題としては何かあるか。それは、官が支配する分野を必要最小限に狭めることだ。
官が自己規律を以って自己変革に努め、自らの組織を縮小させていくようなことは、残念ながら期待できない。仕事に失敗した時、倒産という形で退場させられない公的部門に対しては、政治の力によって常に縮小されるよう圧力を掛け続けることが、恐らく次善の策であろう。
昨今、「小さな政府」という政治的課題が、総論としては、漸く、国民的合意事項となった。我々が今後すべきことは、各論に入っても、政治が躊躇しないように後ろから監視し、また、その実現を督促することであろう。
その意味でも、今後、景気が再び足踏みをしたからといって、政府に更なる景気対策を求めるようなことはすべきでない。