提言書

環境委員会 荒川にお世話になろう


<提言I>   河川敷に500台の駐車場
<提言II> 3万メートルのお花畑
<提言III> 1000台のレンタルサイクリング車
<提言IV>  山梨のシンボルリバーを目指して
荒川の清掃運動



―  うつくしき 川はながれたり
 その ほとりに 
  我は 住みぬ ―


環境委員会 委員長 竹内克雄





山梨経済同友会
平成16年10月





目次

1.提言にあたって
2.基本コンセプト
3.行動の指針
4.指針への原則

<提言I> 河川敷に500台の駐車場
<提言II> 3万メートルのお花畑
<提言III>1000台のレンタルサイクリング車 
<提言IV> 山梨のシンボルリバーを目指して
        荒川の清掃運動



1.提言にあたって

 2003年度に山梨経済同友会に新たに環境委員会が設置されました。何回かの会合を経た後に方針が、以下の主旨により決定されました。

 環境委員会は“環境”をテーマにする事は勿論ですが“環境”の二文字を考えるとあまりにも抽象的かつ範囲が広すぎるテーマになりますので、何か一点に的を絞り研究課題を設定し、それに会員の皆様方のエネルギーを注ぎ込むことが、入り易く出口も見出せ、なおかつ具体的な政策提言を可能ならしめるのではないかとの意見があり、その方向で進もうとの会員の意見の一致を見出しました。
 会員の方から21世紀は環境、水、川、ふるさとの時代であるから“水”をテーマに環境問題を議論したらどうかとの提言がありました。具体的に水から“川”をテーマにとの提言。さらに最終的には甲府市民の水道水源にもなっている“荒川”を政策提言の“素材”とすることを委員会として決定しました。
 実行可能な政策提言の基本的なコンセプトについては、行政、地域住民、学生、企業団体等の係わりの中で、それぞれが本当の動機を何回、何十回と協議し、確立した動機の意識を“荒川”に限定することであります。
 このコンセプトを、完成されるべきコンセプトの詳細は後述するも、大筋としては公共事業を“公協事業”にすることであります。

 さて、すべての文明は川から始まるとのたとえがあるように(中国文明の黄河、エジプト文明のナイル川、メソポタミア文明のチグリス・ユーフラテス川、インダス文明のインダス川)、世界の文明発祥の地は川とともにあり、なおかつその発祥の地はかつて森に覆われておりました。しかしながら、森と川の破壊が干ぱつや洪水を招き、世界四大文明の古代都市は滅びていった文明史があることを考えてみましょう。世界四大文明の川と敷島町(現甲斐市)と甲府市を流れるわずか34kmの荒川を比較するのはあまりにもナンセンスですが、しかし、立ち止ってちょっと考えてみましょう。
 かつて荒川には、シジミ、鯉、鮒、鰻、雷魚、ザリガニ、さらには蛍が舞い、砂州の周りには、セキレイ、コガモ、コサギ、カワセミが遊び、子供達は川で十分泳げましたしかし、わずか10数年の間にその多くの川魚は消えうせ、蛍も舞っていません。もちろん荒川ではもう泳げません。ではこの事実を基調として考えた場合、このままの現状で何にもせず放っていたら10〜20年後に甲府の中心を流れる荒川はいったいどうなっているか想像できますでしょうか。

 さらに甲府市民の大事な飲料水の源流の周辺が、水源涵養林として十分これから先、その目的を果たせることが出来るかどうかも考えてみなければなりません。
 文明の歴史は、治山治水の歴史であるとも言われております。近代になり、護岸工事などが進み、氾濫や洪水から生活が守られるようになりました。これは一面では確かに喜ぶべきことでした。けれども、護岸工事によってできた“土手”が、ますます川の存在と人々の生活を切断し、さらに川に対する“官”と“民”の考えがさらなる隔たりを起こさせました。そして、“官”も“民”も切断されたことに気がつかず、ある日ふと気がつくと、川は死んでいたのです。自分たちが近代の歴史のなかで川を殺してしまったのではないでしょうか。これが私たちの現在なのではないでしょうか。
 まして21世紀は、環境、川、水、ふるさとの時代です。私たちの川について、もっと関心を持ち、地域及び地域全体の環境蘇生のための具体的活動を展開し、さらに私たち人間の生き方における「真の価値観」を探る「一人一人の心の蘇生」を視野に入れ“川の再生”が、人を、町を変えるのだという強い動機のもとに、政策提言をさせていただきます。

◇荒川の概要

 奥秩父連山の最北端の小川山より瑞摘山、金峰山、国師ヶ岳の内懐に、おごそかに生まれる荒川は、深山の山峡を駆け下り、黒平の畑を潤し、旧川窪町の沈む荒川ダム(能泉湖)で豊かな水量を貯え、やがて仙娥滝で始まる昇仙峡へと続く。そして敷島町(現甲斐市)と甲府市の境である片山山麓辺りの金石橋付近でぐっと緩やかな流れとなり、市街地に入り最後は笛吹川へと注ぐ。この標高差は2,300メートル余り。長さは約34キロである。支流には、御堂川、精神川、御岳川、高成川、亀沢川、帯那川、長沢川、相川、貢川などがあり、清流も汚れた水も併せて引き受ける。
 荒川全体の流域面積はその河川敷を含めると約1,335haであり、甲府市の市域全体の面積17,112ha(昭和54年度)の7.8%を占めている。この事は後で述べるが、甲府市全面積の約8%。その利用方法によっては、これからの甲府市の未来への種となりえるのである。
 歴史的には県立中央病院の新荒川橋付近の飯田河原古戦場の跡地、さらには甲府市山宮町付近の甲府上水の荒川取水口がある。甲府は、浅野長政、幸長父子が甲府城を1600年に完成したことにより、甲府城下町の範囲が広がり、武士や商工業者が城下に集められ、高い人口密度の都市が形成された。それと同時に飲用、生活用、防火用の用水路が必要となり1593年〜1596年頃、この荒川より甲府上水の荒川取水口が構築された。つまり今から約400年前にすでに荒川は、当時の人々に利用されており、現在も甲府市山宮町にその取水口は歴然として残存している。
 かつてはこの荒川も大雨、長雨にまみえると、激流、濁流となり氾濫を繰り返したという。その荒ぶる川、荒れる川が“荒川”の名称の由来となっている。その荒れ狂う流路の変遷の目まぐるしさから古くは「荒れ川」とも呼ばれたそうだ。
 明治以降、記録に残る大洪水は6回とされ、近年では昭和10年の大洪水により、千松橋を中心とする敷島町(当時)、甲府市山宮町付近が大被害を受けたとされている。千松橋付近にある桜並木はその被害を食い止めるため、昭和12年〜14年にかけ付近住民の勤労奉仕によるものとされている。昭和10年以降について、特に記録に残っている大洪水は無いとされている。
 さて、今回の提言をするにあたり、荒川の範囲を金峰山の源まで広げるとあまりにも広すぎるため、環境委員会としては範囲を荒川下流と定め、その起点を敷島町(現甲斐市)と甲府市山宮町を結ぶ金石橋付近に定める。
 金石橋を起点とし、八幡橋、千松橋、音羽橋、長松寺橋、新荒川橋、荒川橋、飯豊橋、千秋橋、彩火橋、万才橋、中央道荒川橋、そして終点を二川橋とする河川、及び河川敷の流域とする。

◇荒川の今昔

千松橋から上流、八幡橋を経て金石橋までの間は、荒川河川敷公園として見事なまでに両岸(甲斐市も含む)が公園に整備されており、真夏の酷暑の時期でも河川敷に下り散策すると、川面より吹く風の涼しさと、河川が本来的、根源的に持つ大きな“いやし”を身体に感じられる。しかし残念ながら見事なまでの公園としての整備はされていても、例えば休日の午前10時、人っ子一人いない時もある。
 千松橋から下流、二川橋までの間は一部荒川河川敷公園としての様相は成されている。また、金石橋から二川橋まで、荒川サイクリングロードとして十分使用可能である。2004年8月8日(日曜日)、天気快晴、午前10時〜午後2時までの間、金石橋から始まる荒川サイクリングロードを自転車で完走したが、この広大な荒川の河川敷で会った人数は15人内外であった。まことにもって、この広大な河川敷がいかに甲府市民に利用されていないかが明確に記憶できた一日であった。「もったいない」の一言である。

 ここで、昭和初期から昭和35年頃までの荒川に関する「文章」を列記してみる。

『甲府略志』いわく、荒川は「長堤迂曲、流水清冽、涼を納れ、釣を垂れ或は、歓月賞雪に宜しく、近郊の散策地として好適の処」と。飯豊橋の三ツ水門付近は、特に水深が深く、大人も子供も楽しめる絶好の水遊び場となっていたという。千秋橋が架けられる以前はそこに渡し場があったというほど水量の多い清流であった。毎年夏になると赤い帽子、赤いふんどし姿の古式泳法の講習会が開かれた。浅瀬では真っ黒に日焼けした“河童”たちが魚を追った。ウナギ、ナマズ、コイ、ハヤ、フナなどの大漁に幼い歓声が上がる。川辺では母親が洗い物をしている。着物も洗う。鍋や釜も洗える。娘たちは花を摘む。花は髪を飾り、草は食卓を飾る。灯龍流しの宵には川面にしめやかな光があふれ恋を噛く恋人たちは「夏の涼みは荒川あたりよ/恋のボートの二人連れ/たのし逢ふ瀬を三ツ水門の/波にうつした片えくぼ」と『甲府夜曲』(西条八十作詞・中山晋平作曲)に歌われた。
 また、“駅前旅館”“思い出”などの名作で知られる作家井伏鱒二氏は、甲府とはとても縁深い方で、笛吹川や荒川で大好きな川釣りに興じられた。かつて夏のある日、井伏氏は湯村温泉で露天風呂につかり、十六夜の月を観賞していた。やがて頭上のスズカケの枝に一匹の蛍が飛んできた。『この辺の蛍は荒川蛍と云って大型でよく光る。すぐ近くに昇仙峡から出る荒川が流れ、その川から迷いだすか孤独を求めるかしてとんできた蛍だろう。麦秋のいまごろの季節は荒川にはたくさんの蛍がいる。(中略)川の堤防にいくと堤の上の道にたくさんの男女がぶらついて、蛍は川筋に沿い堤の上にも一めんに入り乱れてとんでいた。それが湧き返るように次から次に空中で盛り上り、灯火の花吹雪となって人の顔や肩に幾ひきとなく突きあたって来る。私の顔にも胸にも突きあたって来た。私は薄い黒地の単衣を着ていたが、ふと気がつくと袖のなかにも一ぴきまぎれ込んで光っていた。袖をすかして見ると、袖が焦げはしないかと思われるほどぴかりぴかり光っていた。』(『蛍合戦』より)。

 あの頃は良かったとは言うまい。

(以上の文章の中の一部に、市制100周年記念誌“甲府の自然”からの引用あり)


2.基本コンセプト

主旨「川の再生」は人を、町を変える

 この動機のもとに、行政、地域、住民、学生、企業団体等の参加による、具体的な行動指針。

《山 梨 県》 水(川)を“守る”“創る”“交わる”“治める”
水戦略会議
2004年度
《甲 府 市》 市環境基本計画
(荒川、濁川系水質保全対策)
2003年度
《地域住民》 “ふるさど”“癒し”“健康”“障害者”“老人”  
《 学 生 》 小・中・高・大学生の参加により環境保全意識の向上と実質的作業活動による教育的効果  
《企業団体》 観光面での荒川の利用と、企業、団体の従業員、及び職員が積極的に地域環境保全へ参加できる場所提供  

 以上5つの参加者の内、2つの“行政”と3つの“民”が荒川を題材にして“公”は公の立場で、荒川の再編の必要性を民に呼びかける一方、民は民の発想で荒川をどう作っていくかを、公に提言していく。

 “公の川”と“民の川”を両輪にして“公共事業”から“公協事業”に発想の転換をなし、《荒川》の再生に取り組むことが基本コンセプトである。


3.行動の指針

考えるイメージ

概要たたき台
(4つの提言を基本とする)

計画、原案、草案

計画案

計画の実行

参加者
 山梨県、甲府市、敷島町(現甲斐市)流域住民、自治会、流域小・中・高校、企業、団体、河川関係の専門家

取り組み
 ※ N.P.O設立 仮称“ザ 荒川”
 ※ ホームページによる
 ※ マスコミの協力
 ※ 広報誌による意見募集
 ※ 計画等の自由閲覧
 ※ 指導管理制度の導入
 ※ PFI方式による駐車場経営


4.指針への原則   
  
(イ)3つの原則

1)自由な発言

2)徹底した議論

3)合意の形成
(ロ)7つのルール

1)参加者の見解は、所属団体の公式見解としない

2)特定個人・団体のっるし上げはしない

3)議論はフェアプレイの精神で行う

4)議論を進めるにあたっては,実証的なデータを尊重する

5)問題の所在を明確にした上で、合意をめざす

6)現在係争中の問題は、客観的な立場で事例として扱う

7)プログラムづくりにあたっては、長期的に取り扱うものと短期的に取り組むものを区別し、実現可能な提言をめざす


<提言I>河川敷に500台の駐車場  

<主旨>
 なんとしてでもより多くの人々が、荒川の河川敷に降りること。
 つまり荒川のさざ波を知り、川面を流れるそよ風の体感を知り得なければ「川の再生」への動機が、より多くの人々の心への起点とはならない。
 現状では、ある程度今までの行政が実施している荒川河川敷公園も整備されているが、荒川流域に接する一部の人々のみの公園であり、“甲府市民”の公園とはなりえていない。
 現状が車社会である限り、車を有効利用する“場”を提供することにより、与えられたテーマに今まで無関心であった人々が、積極的に参加することが考えられる。まず、荒川河川敷に500台の駐車場を造ることにより、これから提言する
<提言II>3万メートルのお花畑
<提言III>1000台のレンタルサイクリング車
<提言IV>荒川の清掃運動

 も、より行いやすく、より多くの人々がもっともっと参加しやすくなり、実行の可能性が見いだされる。さらに、老人、障害者等を車イスで河川敷に降ろすことにより、<提言II>のお花畑による痴呆症老人、精神障害者等の園芸療法に基づくリハビリ、心身ケアが可能となる。また、河川敷の駐車場をより多くの人々が利用して、荒川から遠く離れた市民もウォーキング、ジョキング等で“川”に接することになる。“川”の癒し効果は健常者も老人も障害者も、血液検査、心理状態の測定結果などから、その効果が科学的に認められている。医療分野の面からも、多くの人々を河川敷に降ろすことが必要である。
 荒川河川敷に500台の駐車場の設置は、まさに先に述べた“官”が行った近代の土木技術により、“川”を民から離してしまった“士手”を取り崩し、なんとか“民”の川に取り戻し、より多くの民を“川の再生”に参加させるのに必要な最低限の要素である。

<具体案>
(イ)NPOを設立し、PFI方式による駐車場の経営
(ロ)河川敷の駐車場は、有料とし、収益金は<提言II>の3万メートルのお花畑の維持管理費に充当
(ハ)駐車場の場所運営等については「3.行動の指針」の中で決める
(二)許可については、荒川は一級河川であるが、山梨県が管理者となっている
(ホ)現行の河川法で許可が困難な場合、地域を限定して規制を緩和する
  「構造改革特区」への申請
   申請先内閣官房ホームページあり
(へ)予備の案としては
  A)荒川流域の小・中・高校などの公的施設の運動場等を
    土・日・祭日に駐車場として、開放申請
  B)荒川土手を土・日・祭日一方通行にしての駐車場確保




<提言II>3万メートルのお花畑  

<主旨>
 荒川の概要で述べた如く、荒川の流域面積は甲府市全面積の約8%である。さらに都合の良いことに、一級河川でありながら、その管理者は山梨県となっている。つまり、国との協議でなく山梨県との協議で荒川河川敷の利用が可能であることも大きな利点である。
 この利点を利用して、金石橋から二川橋までの両岸合わせて、約長さ3万メートル、幅約10メートル、面積約30万平方メートル(約9万坪)の河川敷を全部“お花畑”で埋め尽くし、壮大な一枚絵巻のお花畑公園を荒川にお願いすることである。

 ちょっと皆様、目をつぶって想像してみて下さい。
長く続くお花畑は、蝶が舞い、カワセミがさえずり、川面にはマガモ、コガモ。清流にはイワナ、フナ、コイ。釣り人は川岸で糸を垂れ、子供たちは友人らとお花畑の中のサイクリングロードで自転車をこぎ、語りながら通り過ぎ、老人も、車イスの人も河川敷から見える南アルプス、八ヶ岳、茅ヶ岳、富士山を静かに眺めながら思い出を語っている。
 こんな風景は、みんながその気になれば、可能ではないでしょうか。

 多くの立場の人々と話してみると、会社であれ、団体であれ、個人であれ、老若男女すべて“ふるさとのためには”“子供たちの将来のためには”“地域のためには”“環境のためには”“世の中のためには”「何か」をやりたい人々はたくさんいる。ただ、きっかけと動機付けがなかなか無いのが現状である。
“荒川に3万メートルのお花畑”。この作業に、自らが強い動機づけで参加することにより、荒川の再生になり、人を、町を変えることになると考えられる。


<具体案>
(イ)幅約10メートル、長さ3万メートル(両岸)の河川敷に大・中・小の
  面積の区画を作り、線引きを行う。

  大 1000m2(約300坪)
  中  500m2(約150坪)
  小  330m2(約100坪)

(ロ)その区画に参加者を募る。
  例えば企業、地域住民(自治会)、小・中・高校同窓会、団体(ロータリー、
  ライオンズ等々、老人会、労働組合、公務員、甲府市議会議員団、県議団、
  無尽会、各種後援会)、家族、個人。参加者は特に制限無し。

(ハ)参加者は自費にて、花の苗、種を購入し、
  参加者の責任と費用にて区画にお花畑を作る。

(二)恩典
  (A)参加者に対し完成後のお花畑に、企業名、個人名、団体名等の
    看板の設置を可能とする。
  (B)年1回、お花畑作品大会を開催し、すぐれたお花畑の作成者の
    名誉をたたえる。

(ホ)義務
  (A)参加者は、自己の区画と同じ面積の荒川の川の中の清掃と
    土手敷の雑草等の刈り取りを行う。
  (B)甲府市の花である、ナデシコは必ず植える。

(へ)マスコミ界からのバックアップ
  山日YBSグループ創業130周年記念で行われた「“山梨づくり
  ミーティング”子供たちへうるおい山梨〜水とうるおい」といった、
  県内マスコミ界の環境関連事業と連携する。

(ト)2003年1月1日「自然再生推進法」
  地域の人たちがどういうふうに自然を再生したいのか、その方針を
  協議会を作って決め、その方針に沿って工事を国が行う。しかし、
  その後の自然を再生していくための維持管理は、市民団体を含めた
  地域の人たちでやろうという法律。




<提言III>
1000台のレンタルサイクリング車
 

<主旨>
日常の暮らしの中で、自転車を利用し、楽しむ人は年々増加傾向にある。日本には現在約8,600万台の自転車があり、これは世界第3位の保有台数である。
 統計によると、国内の自転車の販売台数は、1991年に約820万台であったのが、2001年には約1150万台となっている。
 山梨県では、マウンテンバイクの全国大会を開催できる場所が北杜市大泉町と南アルプス市白根町に整備されている。2002年7月に開催されたマウンテンバイク大会「シマノ八ヶ岳バイカーズフェスティバル」には、県内外から約4000人が集まり、第12回全国大会が開催されている。このように、山梨県は“自転車”とは、縁が深い。

山梨県の河川を利用したサイクリングロード
※釜無川サイクリングロード
※富士川サイクリングロード
※荒川サイクリングロード
※笛吹川サイクリングロード
※金川サイクリングロード
※重川サイクリングロード

 このように、6つのサイクリングロードが、甲府盆地の中を河川に沿って整備されている。これは、まず他県に無いのではないかと考えられる。
 それぞれのサイクリングロードは、春、夏、秋、冬を通して風光明媚であり、場所によって南アルプス、北アルプス、八ヶ岳、茅ヶ岳、富士山、秩父連山が見え、まさに他県の人々が山梨県を山紫水明と表現する言葉を実感できるのが、このサイクリングロードである。
 実際、今年の猛暑の中で体験してみて感じることは、猛暑の中でも川面を伝わってくる“川風”は、ひんやりとして何とも言えない気分である。なおかつ、幼少の子供たちも含めて、親子でのサイクリングは、日常生活では得がたいものがある。このようなサイクリングロードを、大々的に“参加型観光”として売り出すことである。

<具体案>
(1)山梨県を“マウンテンバイグ”と“サイクリング”を両軸とする“自転車観光県”とする。(サイクリングサッカー)
(2)県内の6つのサイクリングロードを再度見直し、6つが系統的な参加型観光コ一スとなるよう連結を持たせる。
例)1泊コース、日帰りコース、接待所、トイレの設置、甲州八珍菓の無料配布
(3)1000台のレンタルサイクリング車を用意することにより、観光客は自宅から自家用車或いは観光バスで、旅館、ホテルに入り、そこから各サイクリングロードを走行する。
(4)高齢者、身体障害者等はサイクリングロードを、人力車或は自転車タクシーで利用。
(5)日本自転車振興会の利用。
(6)自転車タクシーの利用。
(7)環境省の自然を観光資源として活用し、地域再生を目指すエコーツーリズムモデルの助成金を確保。




<提言IV>山梨のシンボルリバーを目指して
荒川の清掃運動

<主旨>
 四国随一の長流、高知、徳島両県を流れる吉野川、静岡県三島市を流れる源兵衛川、東京都を流れる多摩川などはいずれも、各県の“シンボルリバー”として地元民の誇りとなっている。しかしながらいずれの川も、いったん“死に川”となったのを先人達のたゆまぬ努力と協力により“川の再生”を行い、町を、人を変え大きな成果となっている。
 例えば、三島市を流れる源兵衛川は、1992年までは、ヘドロが流れている川であったが、ひとつの市民組織が立ち上がり、官と民、地域住民あらゆる人々が協力し、今では蛍が舞い、メダカやハヤが泳ぎ、絶滅危倶種のホトケドジョウが蘇っている。
 この間、当初の市民組織であった“三島ゆうすい会”にその他の市民組織8団体が集まり、今では20団体が協力し合っている。いまで言う「ワークショップ」の試金石が成功した例といえる。市民組織を立ち上げた1年目83回、2年目63回、3年目43回のワークショップを行い、徹底的に話し合った結果である。
 山梨県は多くの自然に恵まれ「山紫水明の地」と他県の人々に言われているが、地元民である我々が心の奥から外に向かって誇れるシンボルリバーが、山梨県に存在するだろうか。
 県庁所在地である甲府市を流れる荒川を、山梨県の“シンボルリバー”として再生することを提言したい。
 さらに“荒川”が、いかに甲府市及びその周辺の住民にとって、昔から語り継がれ意識された川であったかを物語る足跡として、甲府市及びその周辺の小・中学校38校の“校歌”を調査したところ、以下の結果が出ている。38校の中には50年以上の歴史を持っている学校も多くある。

※38校中 “荒川”が歌詞に出てくる学校は16校
  “富士”が歌詞にでてくる学校は23校
  (荒川と富士が列記される学校もある)

 いずれにしても、甲府市制の近代史の中で、教育現場の校歌の中に“荒川”が歌われているのは、当時の人々の心の中にいかに荒川が「住みついていたか」ということを、現在の私たちは、再度考えてみる必要がある。


ここで、各小中学校の校歌の中から“荒川”がフレーズになっている部分を列記する。

甲府市立湯田小学校
  世界につながる青い空 文化のみなもと荒川の
伊勢小学校
  流れつきせぬ荒川の たえずつきせぬ心もて
穴切小学校
  緑の夏は荒川の 清い流れにゆあみして
国母小学校
  清い荒川白がねの やまのよそおいも若やかに
新紺屋小学校
  清き流れの荒川や 富士の高嶺をかがみとし
羽黒小学校
  やまかいよぎり荒川の 瀬音さやかにゆくかなた
相生小学校
  みたけの奥の山ずみの いぶきこぼれる荒川の
大国小学校
  荒川の瀬音ま近く 風光る大国の里
春日小学校
  流れよどまぬ荒川と 競うて学ぶ楽しさよ
池田小学校
  清い流れ荒川は 朝な夕のわが命
北西中学校
  山並み青く連なりて 荒川のぞむこの園に
城南中学校
  母なる清き荒川の 遠き流れを思ひては
西中学校
  流れて遠き荒川に 未来の夢を語るもの
南中学校
  健康共に手をとり合い 立てば荒川波清し
甲斐市立敷島中学校
  荒川流れ清らかに 明るい心たゆみなく
駿台甲府高等学校
  荒川のせせらぎ高く 歴史を創る希望に燃えて

 

 さて、ここで問題なのが、列記した歌詞と現在の荒川の状況があまりにもかけ離れていることである。つまり“校歌”という、その学校のシンボルである表現行動の中でまったく“うそ”ともいえる事実が歌われていることである。
 教育現場で、教師も父母も平気で何の反省もなく、まったく無関心に子供たちの前で“うそ”の歌を歌っている。ある意味では、現在の日本の“教育”の一面を現している事実そのものではないだろうか。
 せめて校歌の中に表現されている“荒川”に近づくような努力を、子供も含めて、行政も父母も行わなければ、教育の現場でまさに最悪ともいえる罪悪行為を行っていることに等しいのではないか。

<具体案>
(1)<提案1>、<提案II>を実現させることにより、荒川の清掃運動は非常に具体化する。
(2)教育的効果からも、小中学校の児童生徒に甫度“校歌”の意味を考え、積極的に荒川の清掃に参加させることにより、校歌の持つ意味と環境意識への芽生えの育成が可能となる。そのためにも、年3回、甲府市及びその周辺の小中学校、高校すべての児童生徒の参加による荒川の清掃を行う。
(3)荒川の河川敷、及び土手敷を500メートルごとに区切り、担当団体を決め、年3回の清掃を行う。
(4)同一運動を展開している他の組織との連携を行う。
(5)上記(2)(3)(4)を可能にするため、年3回、荒川士手敷道路を一方通行にすることを警察と協議する。

 以上4つの提言をした。
 いずれも予算が無くても熱意と動機づけがあれば可能な内容である。ある程度この提案の実現への先が見えれば、NPOを設立し、それに甲府市の職員と県の職員が出向で来てもらえれば、より力強く、より早くこの提言が実現すると考える。

※以上の文章の中には、下記文献からの一部引用がある。
☆甲府市制100周年記念誌「甲府の自然」
☆雑誌「望星」(発行:東海教育研究所)
☆「多摩川水系河川整備計画読本」(発行:河川環境整備財団)
☆「ポータル」(発行:財団法人河川情報センター)